探検隊は、未確認生物・幻の原始民族・人跡未踏の洞窟など、数多くの未知なるものを求めて世界中を駆け巡りました。 約8年間にわたって数々の難攻不落の地を制覇してきた川口隊長でしたが、1987年11月17日に「黄泉の国」へと新しい探検に旅立ってしまいました。
探検隊は、隊長以下数人の隊員で構成され、カメラさんや音声さんなどのスタッフ、現地ガイドなどが同行していました。
探検隊には、お馴染みのユニフォームがあります。移動中やジャングルに行く際は、背中に「水曜スペシャル TV Asahi」とロゴの入った青いシャツ。砂漠地帯に行く際は、青のシャツの色違いでグレイか薄い茶色のシャツ。洞窟探検などで地下に潜る際は、赤いツナギと赤いヘルメットで探検します。
探検隊は決定的な証拠をつかんでも深追いや再調査や継続調査せず、壮大な内容のナレーションと共に、いさぎよくスパッと終わる。それが探検シリーズという番組のフォーマットであり様式美なのです。藤岡弘、探検シリーズ・クルピラ編の放送終了後、本サイト掲示板にあの結末に対しての書き込みが数多くありました。
あの結末に不満だった方も少なからずいたようですが、あの結末は川口浩探検隊からの番組フォーマットをきちんと引き継いで制作されているのです。なので、今後あのような終わり方の時があっても「探検シリーズらしい終わり方だ」と受け取ってもらうしかありません。
また、この番組は「やらせ番組」だと言われる事が多いですが、そもそもドキュメンタリーではなく “フェイクメンタリー” つまりドキュメンタリー的な演出や雰囲気のフィクションとして制作されてきた番組(モキュメンタリーとも言う)なのです。
水曜スペシャル川口浩探検隊シリーズ研究会代表の石川さんに提供して頂いた資料によれば、川口浩氏の妻・野添ひとみさんの著書「浩さん、がんばったね」の中で、川口浩氏が一連のやらせ騒動に対し
「ぼくたちは、ニュースやドキュメンタリーを作っているのではない。あくまで娯楽番組を提供しているんです」
と語っているエピソードが載っています。
また、探検隊開始当初からスタッフとして関わり、「藤岡弘、探検シリーズ」では演出を担当している恩田光晴氏のインタビュー記事(投稿写真No.156)によれば
「端から全員、ドキュメンタリーという意識は無かったですね。あくまで娯楽番組という意識だった。これはドキュメンタリーだとは言わないし、作り物だとも言わないし、別にいいじゃんと、と。冒険活劇じゃないけど、娯楽番組だということでやってたんですよ。」
と語っています。
当時のチーフディレクター加藤秀之氏は、「川口浩探検シリーズは、ドキュメンタリーではありません。"見せる"ということが目的ですから、視聴者にわかりやすいように映像を作るんです。」(週刊女性川口隊長インタビュー記事)と語っています。
川口浩氏及びスタッフは純粋に娯楽番組として意識して作っていたわけです。そもそも、探検シリーズはドキュメンタリーやニュースとは根本的に違う、という事を理解する必要があります。
公式サイトにも“冒険エンターテイメント”と書いてありましたし、探検シリーズの持つ個性は強烈かつ独特のものですね。金のかかったコントなんて言われる事もありますが、娯楽番組ですから楽しんだもん勝ちですよ。
「カメラが先に」の話や嘉門さんの歌などにより、結果的にこの番組が当時の視聴者に対してメディア・リテラシーの概念を無意識のうちに植えつける結果にもなったような気がします。今改めて見ると、製作側もその辺の事を承知の上で大胆な演出しているようにも見えます。